【名言公案VOL.1】〜経営は生きた総合芸術〜松下幸之助
経営は活きた総合芸術/松下幸之助
松下電器産業(現パナソニック)創業者・松下幸之助翁は、”経営の神様”として現代の経営者にも国内外問わず多大な影響を与え続けています。
本Webでも”名言に問うシリーズ〜名言公案〜”を始めることにしました。つきましてその第1号として、どの言葉を引用させていただくか色々と考えましたが、今回は松下幸之助翁の言葉から引用させていただくことにしました。
なぜかというと、ひとつに、弊社(株式会社WithUp)の所在地が和歌山県和歌山市であり、この和歌山市はというと松下幸之助翁の生まれ故郷でもあり、弊社から歩いてでも行ける距離に松下翁生誕の地や私財を投じてできた和歌山城西の丸庭園の茶室、それから松下体育館などが現在も市民に広く利用されています。
私が小学生だったときはまだ松下幸之助翁は存命のころでしたので、親から話を聞くこともありました。
“松下幸之助は和歌山の人で小学校中退で丁稚奉公に出て、松下電器を創って経営に成功し神様になった”という話ですが子供心ながらに
「じゃぁ、金持ちになるにも、影響力のある人間になるにしても、いい人生を生きるために学校に行く必要はないではないか?」
と単純に思ったものですが、振り返ってみると自分が今から18年前に独立開業への道を進んだのは松下幸之助のさまざまな逸話があったからではないかと思っています。
それから、これは弊社の業務でもありますが、経営理念設定の合宿研修の会場としてよく使用させていただいているのが、高野山の西禅院というところで、こちらも松下幸之助翁が好まれて長期滞在し執筆活動などをされていたところでもあるからです。※21世紀の日本―私の夢・日本の夢 /PHP文庫は、こちらで執筆されていたとか。
知る人ぞ知るという感じですが、その西禅院さんには翁が私財を投じて建てたといわれる茶室・仰塔庵があります。今から約1200年前に高野山を開創した弘法大師・空海の真言密教の根本道場である根本大搭のすぐそばにあり、塔を仰ぎ見ることができるということでその名がついています。※トップ画像は庭師・重森美玲氏が作庭した西禅院の枯山水です。
経営理念という会社の根本的なあり方になる理念や規範、あるいはビジョンや新基軸を定める場として、経営の神様である松下翁が見た風景を追体験するというのはなかなか乙なものになるのではないか、と考えて、これまでご提案させていただいてきております。
そういう経緯もあり、今回の第1回は、数ある松下幸之助翁の名言の中でも”経営は生きた総合芸術”の意味を考えたいと思います。
松下翁は次のように述べています。
事業の構想を考え、計画を練り、それに基づき資金を集め、設備を整える。人を得、製品を開発し生産し、人々の用に立てる。こうした活動は連続した創造的な行為であり、そのいたるところに経営者の精神が生き生きと躍動している。
経営は、描き終われば完成という絵画などの独立した芸術とは趣を異にしている。つまり「経営は完成のない芸術」「生きた総合芸術である」というわけである。
営利目的の経営(ビジネス)と表現目的の芸術(アート)ではフィールドが相反するようにも感じますが、総合という言葉で結ばれることで意味のコントラストがハッキリして、含蓄に富んでいるのではないでしょうか。
経営という言葉の意味も曖昧にならないように、ここであらためて、”経”と”営”の言葉の意味もそれぞれ、辞書にて調べておきました。
経(広辞苑第七版)
①織物のたていと。たて。
②南北の方向。
③物事のすじ道。道理。のり。それらを述作した聖賢の書。
営(大辞林4.0)
①つくる。ととのえる。建築・修理などをする。
②いとなむ。仕事を処理する。
③軍隊が宿泊する。また,その場所。
言葉本来の意味を問い、調べてみるだけでも、ここで私どもが新たに経営とはどうのこうのと講釈を挟まずとも、すでにこの記事を読まれている方はいろいろと想像がふくらむことかと思います。
経営者であれば、縦糸である経営の道理を横糸つまり実際の営業活動とどのように織りなしていくのか、そのために経営資源である人・モノ・金・環境・設備などをどのように配備し、運用し、社会に還元していくかを常に考えるわけですが、理念と経済については常に相反するもの側面を孕んでいて、頭を悩ませる永遠の課題でもあります。
しかし、ここで松下幸之助翁の云うように経営を”芸術”と見立てると、この相反するものへの認識も少し変わるのではないでしょうか?
例えば経営においての理念と経済のバランスを絵画や写真、映像作品など視覚芸術で言われるコントラスト(明暗)で考えてみる。
コントラストに明るい、暗いのどちらかがいいとか悪いとかは当然ありません。すべては調和の問題です。作品の最も伝えたいことが伝わるように表現するために時、場、状況に応じた必要な明暗、構図、色調が決まってくるのです。
さらに、カメラを使う場合でしたら光量が少なければ黒つぶれ、あるいはノイズだらけになってしまいますし、逆に光を取り込むのも多すぎると白つぶれになり、何を撮ったか分からないものになります。
経営においては、近年、ブラック企業(従業員を違法または劣悪な労働条件で酷使する企業)orホワイト企業という云われ方がなされるようになりましたが、ブラック企業を写真で考えると、光量が少なすぎて黒つぶれしたということになります。
しかし、写真の世界では前述しましたが黒つぶれだけではなくて、光量が多過ぎの白つぶれもあるわけです。光が弱すぎたり、強すぎたりして真っ黒、真っ白につぶれてしまってはもう何も描けません。次の段階の構図も色もへったくれもありませんので、その意味ではまず最初にコントラストは命であると言えます。
そこで経営にこれらを置き換えて考えるとコントラストは理念と経済のバランス、構図は戦略、色調は商売としてのパフォーマンス・色気、という感じでしょうか。
また、松下幸之助翁は、事業成功の三原則として経営者の理念の確立は絶対条件(50%)、その理念の共有と従業員が個性の発揮できる環境づくりが必要条件(30%)、そして戦略・戦術は付帯条件(20%)と具体的な割合まで明示して分かりやすく説いていたと言われています。
青写真とはよく言ったものですが、経営を一枚の写真作品づくりとして考えると、
- コントラスト(50%)…時代と社会環境、事業の場やチャネル、顧客や市場の価値観に応じて経営理念や社会的使命を定めること
- 構図(30%)…働く人がひとりひとりの個性を発揮できる仕事の環境をつくること
- 色調(20%)…実際の仕事のパフォーマンス
と言った具合でしょうか。
経営を総合芸術として認識すると、仮に組織の中でも個々の要素についての優劣のみの議論を終始すべきではなく、まずコントラスト、構図、色調といったものの全体のバランスを定めることが先決で、その青写真がある上でそれぞれの要素が全体として調和しているかどうかが論点になってきます。
とりわけ、最高経営責任者である経営者がこういう会社にしたい、と言うことはそのときの会社にとって絶対になるわけですから、表現方法というのもおざなりにできません。
経営の神様の名言ですが、その言葉の表現力にも驚嘆するばかりですね。
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