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VLOG/会社所在地のある桜の風景〜和歌の聖地で温故知新〜

清明の候、時下ますますのご清祥のこととお喜び申し上げます。

今年の桜は遅咲きということで、ちょうど今、弊社所在地のある和歌山県和歌山市の和歌浦の桜は満開を迎え始めております。

昨日は西日本を中心に雨模様でしたが、弊社オフィスから見える山肌も部分部分、ピンクに染まっています。

 

弊社オフィスから見える高津子山は、

地元の”万葉薪能の会”のボランティアの方たちが

草木を抜いたり、桜の木を毎年植えたり肥料を撒いたり

地道な努力が積み重ねられており

私が知る限りの20年ほど前とは全然違う景色になったものです。

 

まず、登ろうとする山ではなかったものですが、

今は遠くからもその展望を観に来られる人が増えています。

 

「十年偉大なり、二十年畏るべし、三十年歴史なる」

 

と申しますが、まさに継続の力の偉大さを再確認するのと同時に

この時季に見える高津子山の桜の美しさを観ながらどこか勇気づけられるものです。

 

 

この高津子山はというと、和歌の聖地といわれた和歌の浦が一望できるところです。

 

今からちょうど1300年前(元亀元年724年)に

聖武天皇が行幸に従った際、

「若の浦に 潮満ち来れば かたをなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」

と歌聖・山部赤人が詠んだ句があります。

 

なんとかその情景が伝わればと動画を公開しています。

↓↓↓

 

この若の浦の句は万葉集の中でも同氏が詠んだ

「田子の浦に うち出いでて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」

と並びからの代表作と言われています。

 

 

若いころは和歌が経営に生きる?と考えたことはありませんでしたが、

和歌の表現技法は創造的な仕事にとても参考になるということが分かってからは

一気に興味がわくようになりました。

 

例えば本歌取りを辞書(大辞林4.0)で調べますと

 

①古歌の語句・発想・趣向などを取り入れて新しく作歌する手法。新古今時代に盛んに行われた。

「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして」を本歌として、

「面影のかすめる月ぞやどりける春やむかしの袖の涙に」と詠む類。

 

②連歌・俳諧の付合方法の一。和歌の本歌取りの手法を付け合いに用いたもの。

 

と出てきます。

 

昔の表現をいわゆるマネしてそれに新解釈を加えて

その昔の表現の意味するところと違う斬新な表現に変えていくということですね。

 

まさに温故知新というところですね。

 

和歌から転じて物事を考えるに

日常でも本歌取りの発想があるのとないのでは

随分と変わるものがあると思います。

 

身近な例でいうと、人と会って話をする際には

何かしらお互いの共通のキーワードを考えることがあると思います。

 

そこから連歌の上の句と下の句を分担しながら会話がながれていくのですが

私たちは和歌の世界でアタリマエのことを日常で何気なくやっているわけですね。

 

ですからここは何気なくやっていることを、先人の洗練された作品から技法を取りいれて

意識してできるようになる、さらにはその意識も忘れるくらい習い性になると

普段のコミュニケーションのレベルも飛躍しそうですね。

 

コミュニケーションセンスがないというのは突き詰めると

相手の言ったことの意味をすっと受容して話を展開できなかったり

あるいは先に「自分の好きなこと」を前面に話をしてしまって

話の腰を折ってしまうという単純な理由だったりします。

 

4月に入って新社会人になられた方も多いですし、

最新の流行は当然の把握、経済の動向も通勤時チェックしよ、と言われるのは

社会人として人との会話を円滑にするための現代版本歌取りのネタを増やしておけ、

 

つまり、話の腰を折らずに会話を盛り上げて相手の本当に求めていることを引き出せ、

 

という意味なのかもしれませんね。

 

話は長くなりましたが、遠方より弊社を訪れる方には観てもらいたい風景のひとつがこの若の浦の桜でもあります。

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村上 寛和

株式会社WithUp代表取締役 研修総合ディレクター

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