【季節便り】節分という「初期化」、立春という「起動」
みなさん、ごきげんよう。
去る大寒は、暦どおり日本全国が厳しい寒さに見舞われましたが、
お身体など崩されてはいませんでしょうか。
そんな寒さが続く中、暦の上では節分を迎え、
柔らかな日差しとともに新しい春が始まりました。
節分とは、単に豆をまいて厄を払う行事ではありません。
季節が切り替わる直前に設けられた、**「初期化のポイント」**です。
そして立春は、
初期化を終えた身体と意識が、静かに動き出す「起動」の日。
この感覚は、二十四節気という暦が、
本来「人間を含む生き物のリズム」に寄り添って設計されていたことを
思い出させてくれます。
暦が変わると、身体は置き去りにされる
一方、私たちが現在使っているグレゴリオ暦は、
社会や経済の効率化を目的として整備された時間軸です。
それ自体が悪いわけではありません。
ただ、それが唯一の基準として扱われるようになったとき、
身体の時間は置き去りにされがちになります。
四季の揺らぎ、寒暖差、
朝の重さや、夕方の集中力の落ち方。
「今日はなぜか無理が効かない」という感覚。
これらは本来、
自己管理能力の欠如ではなく、
季節と身体の関係が発しているサインです。
しかし、暦とスケジュールだけを基準に生きていると、
そうした違和感は無視され、
小さな歪みとして蓄積されていきます。
トップアスリートが示していること
ここで、少し視点を変えてみます。
ドジャーズで活躍し、
WBC2026の代表選手にも選出された山本由伸投手。
彼の発言やトレーニングへの向き合い方を追っていくと、
そこには一貫した身体観が見えてきます。
それは、
「技術」や「筋力」を積み上げる以前に、
運動の基礎となる起動プログラムそのものを整えるという姿勢です。
山本投手はオリックス時代、肘の痛みなどに違和感を感じていたことと、
球速の向上などの目標からトレーニングメニューをフルモデルチェンジしたことで知られていますよね。
トレーナー・矢田修氏が提唱する「BCエクササイズ」も、
フォームや型を外から矯正することのように末節を外からいじる、
という類いのモノではなく
示されるのは、
身体の構造、重力との関係、循環、季節性といった、
身体が構造どおりに働き、自然に動き出すための前提条件だったそうです。
最も根本の原理を示し、
本人が理解し、学習し、自身の身体で確かめていく。
その結果として、
無理なく、壊れにくく、
自然法則に適ったかたちで
高いパフォーマンスを支える動きが立ち上がっていったのです。
これは、運動の基礎となる起動プログラム――
あるいは OSの核となっているカーネルの再調整
と捉えたほうが実態に近いように思います。
私たちの生活に引き戻すと
正しく立てない者は、正しく歩くことはできない
正しく歩くことができない者は、正しく走ることはできない
正しく走ることができない者は、正しく投げることはできない
正しく立つには、正しい呼吸と集中が大切。
山本由伸選手のトレーナー 矢田修氏の言葉
メジャーリーグの常識をひっくり返したとも今騒がれている山本由伸選手の投球のこうした考え方ですが、
トレーナーの矢田修氏の言葉から鑑みるに
私が長年向き合ってきた禅の身体観とも、自然に重なります。
禅には
「結果自然成」
という言葉があります。
結果を無理につくろうとするのではなく、
構造条件が整えば、結果は自然に起こる。
とりわけ道元禅の真髄は坐禅、正身端坐にありますが、
姿勢を調え、呼吸を調え、心を調える、坐禅の”型”はいわばその初期設定であり、
同時に、起動装置でもある、とも考えられます。
トップアスリートの身体づくりと、
禅が指し示してきた身体の在り方が
同じ地平に立っているように見えるのは、
決して偶然ではないのでしょう。
もちろん、私たちはメジャーリーガーではありません。
ですが、身体を持って生きているという点では、条件は同じです。
季節が変わるとき、
仕事や生活のリズムが噛み合わなくなるのは、
能力の問題ではありません。
起動プログラムが、
季節とズレているだけです。
節分は、身体と感覚を初期化するための時季。
そこを丁寧に通過できれば、
立春以降の動きは、驚くほど静かで、軽くなります。
世の中の常識や前提は、ときに嘘をつくことがあります。
しかし、自然法則は万が一にも嘘をつきません。
現代人にとって身近ではなくなった自然観や、それに基づく身体観。
節目の日である節分に、
自身の状態を一度立ち止まって省みて、立春で再起動、というのも、
悪くないのではないでしょうか。







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